肉処とよたアレコレブログ
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食肉

肉とよ的『食肉の歴史』①食肉のルーツ~普及に至るまで

みなさんこんにちは、田舎の精肉店肉処とよた略して肉とよです🍖

 

24時間営業のコンビニや牛丼などのチェーン店普及により、私たちの生活により身近になったお肉料理の数々‥。

それでも、欧米の肉食文化に比べれば、日本人は野菜を中心にした比較的バランスの良い食事を心がけているように感じます。

学校での食育や、各地域での「地産地消」活動の賜でもあるのですが、広い目で見ると、私たち日本人の食肉の歴史にも関係しています。

今回は、そんな『食肉の歴史』を肉とよ的にひもといていきます!

食肉のルーツ

日本列島における肉食のはじまりは、今から約20万年前の旧石器時代‥つまり、日本列島に人が住みはじめたときまでさかのぼります。

縄文→弥生→古墳→飛鳥→奈良と続いていく時代の中で、人々の食生活は採集や狩猟・漁猟といった生産活動により支えられてきました。

最近の考古学的研究では、すでに『縄文時代には狩猟もしつつ、食用としてイノシシが飼育されていた可能性もあった』のだそうです。

稲作がはじまった弥生時代には、飼育の痕跡を残すイノシシの歯や骨が遺跡から多数出土しており、この時代に「豚肉」としての飼育がはじまったと考えられています。

【採集や狩猟が中心だった縄文時代】

【稲作中心の弥生時代】

さらに時代は進み、5~6世紀ごろには鶏が家禽となり、奈良時代にはキジやカモ、ウズラも飼育されるようになりました。

肉食禁止令

奈良時代にはいり、仏教伝来とともに肉食が禁じられたことは、日本の食文化に大きな影響を与えました。

天武天皇が布告した日本最初の「肉食禁止令」は、1年のうち4~9月の間『狩猟の規制および牛・馬・猿・犬・鶏の5種類の肉食を禁ずる』というものでした。

この禁止令が殺生を嫌う仏教思想と結びついたため『日本には肉食習慣がなくなった』というのが定説になっています。

ぶーたん
ぶーたん
でも禁止令に含まれない動物や鳥類は変わらず食用されていたよ
ゴリ店長
ゴリ店長
特にシカ肉やイノシシ肉といった獣肉は、京都を中心に食されていたんだって

鎌倉時代から室町時代にかけての遺構や、広島県の遺跡から出土された獣骨の調査からも、肉食が明らかになっています。

さらに、織田信長が活躍した時代には南蛮貿易がはじまり、西洋人により肉食が持ち込まれました。

しかしこれもごく短期間で終わり、キリスト教の禁止や鎖国政策により肉食は欧米のように日常食とはなりませんでした。

このような公権的な肉食の制限は、かたちを変えながら明治に至るまで続いています。

『薬食い』としての肉食

「禁止されたら食べたくなる!」のが人間の性です。

日常食ではないながらも、狩猟をしたり、家畜や家禽の飼育をしていたり、さまざまな理由をつけたり‥と人々はお肉を食べていました。

『薬食い』が良い例です。

薬食い(くすりぐい)とは‥食べると体が温まる、ことから所以。

滋養や保温のためにイノシシ・シカなどの肉を食べること

病人などには薬になる、という口実を設けて食べていた

そこから郷土料理がうまれ、地方の特産品になっている例も少なくありません。

武士・貴族による『薬食い』

武士の間では鷹狩りが盛んで、野鳥やウサギが獲物でした。

動物の捕獲は禁忌とされていましたが、鳥に対しては寛容で野鳥の食用は盛んだったよう。

ウサギを1羽2羽と数えていることからも、鳥と見なして食用としていたことがうかがえます。

また、彦根藩が牛肉のみそ漬けを江戸の将軍家に献上していた記録も残っています。

町民による『薬食い』

元禄・文化文政時代には、上方や江戸に町民文化が花開き、食生活も豊かに、そしてぜいたくになっていきました。

獣肉食禁止のため、「ぼたん(イノシシ肉)・もみじ(シカ肉)・さくら(馬肉)」などの呼び名を用いて、町民も肉に親しんでいたようです。

江戸時代中期から後期にかけては、「山くじら」という看板をかけてイノシシ肉を食べさせるお店も現れました。

【山くじらの看板】

日本食肉消費総合センターより引用

「ももんじ屋」「けだもの屋」といった獣肉や野鳥のお肉を売るお店も現れて繁盛したそうです。

文明開化『牛鍋屋』

明治維新になり、これを契機に急速に近代化を目指した日本は、またたく間に西洋文明を取り入れていきました。

食生活や料理にも近代化の波が押し寄せ、ついに明治5(1872)年、明治天皇により肉食の解禁宣言が出されました。

日本人は、ようやく堂々と牛肉や豚肉を食べれるようになったのです!

文明開化の象徴として、庶民にも愛されたものが『牛鍋屋』です。

【牛鍋屋】

日本大百科全書より引用

牛鍋は、牛肉をネギ・豆腐などとともに鉄鍋で煮ながら食べる料理です。

うし氏
うし氏
最近では醤油味やすき焼き味が主流だけど、当時の味付けは味噌味でした

「牛肉は滋養によい」という福沢諭吉の影響もあり、日本人向けに牛鍋を食べさせるお店が現れ、のちに急成長していきました。

ゴリ店長
ゴリ店長
明治10年ごろには、東京で558軒にもなったそう!

広まるほどに肉質にもこだわりが出てきて、近江牛が上等肉として評判を呼び、明治末期には米沢牛が東京に運ばれています。

まとめ

私たち日本人の食肉の歴史は紀元前から受け継がれていますが、禁止令などにより、肉食への忌避感を生じさせたことも事実です。

食肉として確立してからたった約120年と短く、海外に比べればまだまだはじまったばかりです。

「庶民に普及した肉食」については次の記事で解説したいと思います。

 

 

最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

 

 

ABOUT ME
肉とよ
山口県宇部市で精肉店を営んでいます。 お肉のことはもちろん、食に関するアレコレをはじめ、地元アレコレ、親子アレコレ‥いろんなアレコレについてつづっていけたら、と思っております。 みなさんに『喜ばれる歓び』をご提供!